嫌なことというのはなぜか重なる。
私は先週半ばから発熱で仕事を休んでいたのだけれど、金曜の朝、数年ぶりに高校時代の部活の副顧問から電話がかかってきた。
「顧問の〇〇先生が、昨日心臓発作で急逝なさった。」
びっくりしすぎて、「えっ?」としか言えなかった。
先生はまだ63歳。
特に病気もなく、健康診断では意外と引っかかったことがないと言っていた。
とはいっても、体重90キロ近い体形だったのでメタボでは引っかかっているはずだったけど。
最近連絡を取っていなかったのだけど、先生はこの春から再任用を辞めて、新しくできた科学館で働くことになっていたそうだ。
ずっと「再任用なんかやめたい」と言っていた先生の希望がやっと叶ったのに。
天文学が大好きだった先生の夢がやっと叶ったのに。
私はカトリックの学校で働いているからこんなことを言うべきではないのかもしれないけど、神様なんか本当にいるんだろうか。残酷だ。
私は先生のことが大好きだった。実は先生は私の伯母の恩師でもある。家族二代でお世話になった先生だ。
先生は普通の先生とはちょっと違って、先生らしくない感じの人だった。
決して不真面目とかそういうことではなく、当時はまだ珍しい、オタク文化に理解のある人、というか、そもそも先生自身がオタクだった。宇宙戦艦ヤマトの映画が公開されたときに学校をさぼって見に行った話をよく聞かされた。
部活の大会に行くために先生の車に乗った時、車の中にいくつもピカチュウのぬいぐるみがあったので、「好きなんですか?」と聞いたら、
「いや、別に好きじゃないけど、家には100匹以上はいるかな。」と言っていた。
「いやいやそれは好きっていうんじゃないですか」と聞き返したら、
「別に?好きじゃないけど、まあ100匹いても不快じゃないからいるだけだもん」とよくわからないことを言っていた。そんな形のツンデレがあるのかと思った。
それから、ネット文化にも明るい人だったもんだから、私はよく先生と雑談をした。
私も私で古いネタばかり知っているものだから、「お前本当に高校生か?」とよく笑われていた。
私の通っていた高校は、暴力暴言がまかり通る最悪の学校だったけど、先生はそんなことは一切しないとてもとても優しい人だった。
私の学年の主任の暴力教師は、「努力するものは希望を語り、怠けるものは愚痴を言う」というのを座右の銘とでも言わんばかりに集会でも話していたし体育館の壁にも貼っている人で、私はそれがとても嫌いだったんだけれど、
ある日、嫌なことがあって部活中に愚痴を言っていたら、先生は「僕は聞くだけしかできないかもしれないけど、いくらでも聞いてあげるよ!」と言ってくれた。つらい学校生活だったので、それだけでうんと救われた気がした。
それから、私は結構生意気なガキで、大人が嫌いだったもんだから、ガンガン文句を言っていた。
先生にもよく「部室を片付けなさい」と叱っていた。
何度怒ってもすぐ散らかす先生に呆れて本気でキレたら、夏休み明けに先生から「来て!!!」と部室に連れていかれ、
「見て!!!!僕片付けました!!!!えらいでしょ!!」と言われた。
そんなに気にしていたのか…と思ってさすがに申し訳なく思った。先生あの時はごめんね。
何を話していた時だったか覚えてないけど、ある日先生からこんなことを言われた。
「僕はお前のことをすごく尊敬してる。年齢とか関係なく、お前はすごい子だもん。お前は本当に努力家だし、大人でも難しいような資格をたくさん取って、大会でも成績を残してるんだもん。他のやつに言われたらイラっとするようなことでも、お前に言われたら「僕が悪かったのかも…」って考えるよ。」
…私の言うことでイラっとしたことがあるってことか。と反省した。先生これもごめん。
と同時に、先生はきちんと能力を評価してくれる人なんだと思ってすごくうれしかった。この考え方はとても大切なことだと思っていて、私も人を評価するときに年齢や立場ではなく、その人の本質を見るように心がけている。
あとこれは、人によっては引かれそうだけれど、
「私の名前って、一発で変換できないから不便なんですよね。」と話していたときに、
「そうだよね~、僕はお前の名前を入力するときは、「愛しの良い子」って打ってから消してるよ!」と平然と話してきたことがある。
いや、文字数増えてるじゃん!と突っ込んだけど、そういうことをしれっという先生のことが結構好きだった。でもまあ人によってはキモイ!って言われかねないから気を付けてと思ったけど。
先生とはこんな笑い話が山ほどある。毎日毎日冗談ばっかり言い合って本当に楽しかった。
同世代の友達よりも気が合うから、先生のことが本当に大好きだった。
高校3年生になって、私が家庭のことやらなんやらで浮かない顔をしていたら、天体観測に誘ってくれた。初めて見た土星はとてもきれいだった。
家庭環境の悩みを打ち明けた時も、「僕もこうだったんだ」と自分のことを話してくれた。
似たような境遇でとても励まされた。ああなんかこういう話ってしてもいいんだって思えたのは先生のおかげだ。だから今私も教師になって生徒に普通に家庭環境やらなんやらの話をバンバンしてる。同じ経験をしてる人じゃないと打ち明けられないことってあるから。
そういえば、私が旦那にプレゼントするネクタイを、「ネクタイの巻き方教えてください」と頼んだら、「誰にあげるかは聞かないけどさ」と言いながら教えてくれたのも先生だったな。
練習の時に一回先生にネクタイ試しで着けてもらったことは旦那には内緒にしてるw
私が進路のことで悩んでいた時、先生は、
「人生って不思議なもんで、いろいろ寄り道とか、回り道とかしても、やりたいことが決まってれば、不思議とゴールにはたどり着けるんだよ。」って話してくれた。
先生が言っていた通り、私は「情報の先生になりたいけど、単独の免許で雇ってくれることはないだろう」と思っていたのが、不思議なルートで「情報の先生」にたどり着けた。やりたいことをしっかり持つっていうのは大事だ。これも生徒に進路指導をするときに話すエピソードの一つ。
先生の担当していた科目は地学。選択科目だったので、3年生の時にようやく受講できた。
先生の授業で絶対に100点を取る!と決めて必死に頑張ったが、先生の授業だけは100点がとれなかった。難しすぎる。
先生は地学が大好きで、授業のとき、いつも楽しそうにいろんな話をしてくれた。
こんなふうに楽しそうに授業ができる人になりたいと思った。
たまに授業を忘れて職員室で寝てることがあって、何度か私が起こしに行ったんだけどwそこは見習わないようにしないとねw
卒業してからも、LINEを交換して定期的に連絡を取り合っていた。
結婚を報告した時には驚かれた、だって私の旦那と先生は一歳しか違わないんだもんw
実は先生も教え子と結婚した人だったもんで、そこも私たちの共通点だった。
私が就職してからは「いつか大会で会えるかな!」とよく言っていた。
でも、就職して1年目の大会はコロナでなくなって、2年目は部活を持たず、今年も放送部がない学校だから、その夢は叶わなかった。
最後に連絡を取ったのはいつだったかな。
私がLINEのタイムラインに日記を書くと、いつも反応をくれていたんだけどね。
そっかもういないのか。
先生とのメッセージもたくさん残ってるのにな。
先生、写真撮るのが好きで、いつも自前の一眼レフを持ってて、嫌がる私の写真も何度も撮影してたね。
「私は写真に写るのは嫌なんです。苦手なんです」って言ったら、
「今は嫌でも、いつか撮っておけばよかったって思うときがくるよ。そのいつかのために撮るんだよ。」って言われた。
その言葉を聞いてから、私は嫌でも写真をたくさん撮るようになった。
いつかのために。
でも先生、先生あんまり女の子の写真ばっかり撮ってるから、奥さんに見つかって怒られないか心配だよ。
先生の大量の写真データ、今頃見つかってしまったんじゃないかな。LINEとか、いたらんものの検索履歴とか、見せられないものとか、大丈夫なのかな……とちょっといらない心配をしてしまう。奥さんが怒って、というか呆れてないといいけど。
ああ、なんか今も先生がいないことが信じられない。
LINEのタイムラインを更新したら、いつもみたいにスタンプ押してくれるんじゃないかって。コメント書いてくれるんじゃないかって。
もうそれもないんだな。
通夜に参加するか聞かれたけど、発熱してたことを理由に遠慮した。
本当の理由は近しい人の死が初めてでとても怖かったからだ。
先生がいなくなったって信じたくなかったから、行けなかった。行きたくなかった。
夜中、高台に上った。
少しでも星が見えればいいなと思ったから。
私の住んでいるところは山の方だけど、都会の端っこだから、夜中でもそれなりに明るい。
人工物の光を見てると星が見えなくなるから、天体観測をする前はしばらく何も電気をつけずに真っ暗にして目を慣らすんだよって言ってたな。
なるべく暗い場所を探して、持ってきた懐中電灯を消した。
空を見たら、結構な数の星が見えた。
先生みたいに星の名前はわからないから、夜空で一番明るい星に向かってお祈りをした。
星が大好きだった先生が、どうかきれいなお星さまになれますように。
先生から教わったたくさんのこと、私が先生の代わりにずっと子どもたちに教えていきます。
あの頃から変わらず生意気な私のことをどうか見守っていてください。
今までありがとうございました。
愛しの良い子より。
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